ちぃっとらっつ農舎 & ポラーノ農園

手と手で紡ぐ新茶2021

2021年5月12日【ちぃっとらっつ農舎】 [緑茶]

ご報告が遅くなりましたが、4月25日に無事今年の手摘み新茶をつくりました。直前の日程変更にも関わらず、48人もの方が山の上のお茶畑へ集まってくれました。皆さま、ありがとうございます!

新茶の手摘み。

少し前までは、村のあちらこちらで菅笠を被ったおばあさん達が茶摘みをする光景を見かけたものです。それが、この10年ほどの間に、そんな光景は消えてしまいました。

手でお茶を摘むというのは、単純な作業のようでいて、実は大変な経験と技術、そして体力を要する作業です。伸びた新芽の一芯二葉あたりの柔らかい部分を指先の感覚で摘み取り、掌の中に摘み取った葉をためるようにして摘んでいきます。そして手がいっぱいになったら、腰につけた竹籠の中へ新芽を入れる。熟練のおばあさん達は5歳ごろから、親と一緒に茶畑へ行き、見よう見まねで茶摘みを習得していったと聞きます。その作業を朝早くから夕方まで続けるためには、相応の体力と根気も必要です。熟練の方でも一日に摘める茶は10kgほど、それを加工すると2kgほどのお茶になります。

農村が高齢化し、若い世代の後継者がいないということは、このような技術も継承されることなく失われていきます。だから、今の時代に手摘みでお茶を作ろうとしても、まず摘み手が集まらないという大きな問題に直面します。

2年前に手摘み新茶を作り始めた頃、周りの友人や仲間達に声をかけました。手摘みの経験がほとんど無い人たちであっても、継続していくことで確実に技術は身につけていくものです。1年目から参加してくれている方々は、徐々にコツを掴み、3年目になる今年は両手で摘むほどにまでなり、とても頼もしい!

お茶を摘みながら、いろんなお話をしました。農業の集約化と効率化の流れの中で、ほんの少量しか作ることのできない、手摘み茶は姿を消していきます。同時に、農地の区画が小さく、大型機械の導入が難しい中山間地ではお茶の生産自体が急速に減少し、耕作放棄地が年々増えているのが現状です。効率や経済などの尺度で計れば、真っ先に切り捨てられるのが、手摘みによる茶づくりであり、中山間地などの産地です。けれども、その過程で失われていく地域の特性や豊かさについて、私たちはもう少し真剣に考える必要があると思うのです。完全に失われてしまってからでは遅いのです。

手摘みによるお茶づくりは、決して一人のチカラではできません。大勢が集まり、チカラを合わせて初めてできるお茶です。協働をとおして、お互いの存在を認めあい、自分をその一員として見出す。一人のチカラでは及ばないことに、皆がチカラを合わせることで到達する。個人主義がことさら強調され閉塞感が漂う現代社会だからこそ、そんなあり方が見直される時だと思うのです。それは人間社会だけに限るものでなく、人間が自然の一部として自らを認識すること、自然の中でのあり方にまで至る大切な思想だと思います。

茶摘みの当日は子ども達も大勢来て、茶摘みをしたり、畑の周りで赤い実をつけた野いちごを探したり、自由に遊んでいました。朝から晩まで山間に黄色い声がこだまし、なんとも幸せな日でした。煎茶の湯気の向こう側に、そんな情景を思い浮かべていただけたら幸いです。

今年も無事に新茶を収穫できたこと、近くで遠くで支えてくれる方々に深い感謝を込めて!新茶のご注文はこちらからお願いします。

新茶の手摘み

2021年4月23日【ちぃっとらっつ農舎】 [緑茶]

新茶の手摘みを明日やります。

手摘みは新芽の柔らかい部分だけを指先の感覚で摘み取っていきます。機械収穫ではつくることのできない、とても味わい深い新茶ができるのです。

が、ネックは摘み手を集めること。かつては村のお婆さんたちが大勢集まって摘む光景がこの時期になると、あちこちで見られたのですが、高齢化と後継者不足から、新茶の手摘みの風景が村から消えてしまいました。

その風景をもう一度取り戻したいと数年前から友人や仲間と一緒に手摘みをしています。素人が摘んでもなかなか量が溜まらないのですが、毎年継続することで、年々腕を上げています。

新茶は収穫の適期がとても短く、それに加えて天候や加工場の予定、人員確保など考えることが多く、頭が痛い〜。収穫が終わるまで毎晩夢の中で何かに追いかけられています〜。

来てくれる方々、皆のチカラで実現する手摘み新茶!いよいよ明日です。

もしご興味ある方いましたら、メッセージください。